吉村家公式HPよりhttp://ieke1.com/
チェーン店という括りではないのですが、一大ジャンルの総本山なのでまとめてみます。
ラーメンの種類では1番家系が好きな私。
本店も行きましたし直系と呼ばれるお店、またそこから派生していったお店もよく行きます。
修行中、トリプルワークしてた時の居酒屋に直系の店主ご夫婦が来られてお話しした事があるんですが、スープは鶏ガラと豚骨を分量は1対1で作ってて豚骨の質に対してはかなり業者にキツく言っていてやはり厳選した物使ってるんだなー。と当時思ったものです。
ちなみに私のお好みは濃い目、普通、粉です。
(家系で粉落とし対応してくれる所少ないと思うので出来る所でしかやりません。)
吉村家の歴史は、家系ラーメンというジャンルの発展と密接に関わっています。その創業から現在に至るまでの過程を、さらに詳しく解説します。
吉村実の生い立ちと創業の背景
吉村実は、1944年に福岡県で生まれました。幼少期を過ごした福岡では、豚骨ラーメンが主流でしたが、彼が成人する頃には、家業を継ぐために一時的にサラリーマンとして働くことになります。しかし、次第に「自分の店を持ちたい」という夢が膨らみ、さまざまな職業を経験しながら資金を貯め、ラーメン店を開くことを決意しました。
彼の目標は、当時のラーメン店にはなかった革新性を持つラーメンを提供することでした。吉村実が求めたのは、豚骨のコクと醤油の旨味が調和した、重厚でありながら飽きのこないラーメンでした。このコンセプトのもと、吉村家のラーメンが誕生します。
吉村家の創業と初期の挑戦
1974年、吉村実は横浜市磯子区の杉田に、念願のラーメン店「吉村家」を開業しました。開店当初、彼は豚骨スープをベースにしながら、醤油ダレを合わせることで独特のコクと旨味を生み出し、太いストレート麺と海苔、ホウレンソウ、チャーシューなどのトッピングを特徴としたラーメンを提供しました。
しかし、最初から順風満帆だったわけではありません。吉村家はその革新的な味わいが、当時のラーメンファンには受け入れられないこともあり、客足が伸び悩むこともありました。吉村実は試行錯誤を繰り返しながら、味やサービスの改良を続け、徐々に支持を集めていきます。
家系ラーメンの形成と確立
吉村家が成功を収めたのは、その「豚骨醤油ラーメン」という新しいスタイルが横浜の地で受け入れられたからです。この「豚骨醤油スープ」は、濃厚ながらもまろやかな味わいを持ち、太いストレート麺との相性が抜群でした。また、トッピングとしてのホウレンソウや海苔、チャーシューの組み合わせは、家系ラーメンの特徴として広く知られるようになります。
さらに、吉村家では「麺の硬さ」、「味の濃さ」、「脂の量」を客の好みに合わせて調整できるというオプションを提供しました。このカスタマイズが、顧客にとって非常に魅力的であり、次第に常連客を増やす要因となりました。
「家系」という名称は、吉村家から派生した多くの暖簾分け店や弟子の店が、吉村家の味を継承しつつ、それぞれのアレンジを加えて発展していったことから生まれました。「○○家」という名称を持つ店が増えたことで、これらを総称して「家系ラーメン」と呼ばれるようになったのです。
吉村家の影響力と「家系ラーメン」の全国展開
吉村家のラーメンは、1970年代後半から1980年代にかけて横浜市内で人気を博し、多くの弟子たちが吉村家で修行を積み、自分の店を開業するようになりました。この「暖簾分け」の文化が、家系ラーメンを一つの大きなジャンルとして形成する重要な要素となりました。
家系ラーメンは、横浜を中心に関東全域に広がり、その後全国に波及しました。特に1980年代から1990年代にかけて、家系ラーメンの人気は急上昇し、多くの「家系」を名乗るラーメン店が誕生しました。これにより、家系ラーメンは日本のラーメン業界において確固たる地位を築きました。
吉村家の成功は、ラーメン業界における新しいビジネスモデルを提示したとも言えます。弟子たちが独立し、自分の店を開業することで、吉村家の味が広がり、多様なラーメン店が誕生しました。これにより、ラーメン業界全体が活性化し、さまざまなスタイルのラーメンが生まれる土壌が整ったのです。
家系といえば酒井製麺
吉村家と直系の家系なら無視できない酒井製麺。直系の人間の紹介が無いと仕入れる事は出来ません。
そして破門等の理由により直系から外れてしまえば仕入れる事は出来なくなる製麺所。
なので直系の証としては酒井製麺から仕入れられているかが分かりやすい判断基準となります。
仲良くさせていただいてるお店さんは酒井製麺から仕入れてるので色々聞いてみたんです。ゴリゴリでオラオラな経営体質だと思ってたのですが、このご時世なので卸しているお店さんに対しての融通は聞いてくれるみたいです。
意外でした。偏見はいけませんね。
吉村家の現在とその未来
吉村家は、横浜市内で現在も営業を続けており、家系ラーメンの「総本山」として多くのファンに支持されています。創業から50年近くが経過した現在でも、その味とスタイルは変わらず、多くの人々に愛され続けています。
吉村実は、家系ラーメンの発展に寄与するだけでなく、弟子たちとの絆を大切にし、家系ラーメンが次世代に引き継がれるように努めています。家系ラーメンは、単なる一つのラーメンスタイルにとどまらず、日本のラーメン文化全体において重要な位置を占める存在となっています。
今後も吉村家は、伝統を守りながらも、新しい挑戦を続けることでしょう。家系ラーメンが日本全国、さらには世界中に広がる可能性を秘めており、吉村家の影響力はこれからも続いていくと考えられます。
吉村実のビジョンと情熱は、家系ラーメンというジャンルを超えて、日本のラーメン文化全体に多大な貢献をしています。そして、その影響力は未来のラーメン業界にも引き継がれていくことでしょう。
噂の話
吉村家で修行をしても直系と呼ばれるグループに入れない時があるそうなのですが、その違いとは、弟子が出店の際に吉村家の社長が出資or融資した場合は直系と呼ぶ。とある程度の決まりがあると聞いたことがあります。
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