一風堂公式HPより引用
あっさりしてるのにコクのあるスープ。
公表している一風堂のスープの材料はゲンコツと豚頭のみ。
ネガキャンでもなく、豚頭使っているラーメンが嫌いというわけではなく、仕込み方がとっても私は苦手です。
死者に鞭打つという言葉がまさにその通り。
仕込み方を教えます。
発注すると、皮を剥がされた豚の首から上がゴロゴロ届きます。
まず下茹でしてから一度水洗い。
その後、頭蓋骨めがけてハンマーを振り落とし、
骨を割ります。その後煮込みますが、目的のスープにする為に脳味噌を潰したりしてスープに溶けやすいようにします。脳味噌にコクと旨味がいっぱいあるのです。
豚頭を使ったスープの仕込み方を知った時、本当に人間とは残酷な生き物。そして食に対して貪欲なのだと改めて思った訳です。なれれば問題ないんでしょうが慣れたくないという変な抵抗感。
さて、良くない方に話を進めてしまいましたが、美味ければ問題無い。結局そうなっちゃうのが人間です。では歴史を掘り下げて行きましょう。
一風堂(Ippudo)は、1985年に福岡県福岡市中央区にて河原成美(かわはら しげみ)によって創業されました。以下は、一風堂の歴史を詳しく説明します。
創業以前
河原成美は、もともと寿司職人や和食の料理人として働いていましたが、1980年代初頭にラーメン業界に転身することを決意しました。当時、ラーメンはまだ「屋台料理」というイメージが強く、特に九州地方ではとんこつラーメンが主流でした。しかし、河原はラーメンに新しい価値を見出し、それをもっと洗練された料理として提供したいと考えました。
河原成美の背景とラーメンへの転身
河原成美は1951年、福岡県で生まれました。幼少期から料理に興味を持ち、寿司職人としてのキャリアをスタートしました。しかし、寿司職人としての道を進む中で、より多くの人々に愛される料理を提供したいという思いが強まりました。その結果、手軽に楽しめる「ラーメン」に可能性を見出し、1980年代にラーメン業界に転身しました。
一風堂の開店準備と初期の苦労
ラーメン業界への挑戦を決意した河原は、数年間にわたってラーメンの研究を行いました。彼は従来のラーメンのイメージを一新し、「上品で洗練されたラーメン」を提供することを目標としました。そのため、スープの透明感、麺の食感、店舗の雰囲気など、すべての要素にこだわり抜きました。
1985年、一風堂の第一号店を福岡市大名にオープンしましたが、開店当初は苦戦を強いられました。従来のとんこつラーメンとは異なるその味とスタイルは、当初、地元のラーメンファンから必ずしも好意的に受け入れられたわけではありませんでした。しかし、河原は信念を貫き、地道に改良を重ね、やがて多くの人々に支持されるようになりました。
1990年代の躍進と「赤丸新味」「白丸元味」の誕生
1990年代に入ると、一風堂はその斬新なアプローチで注目を集め、人気を博しました。この時期に、一風堂のシンボルともいえる「赤丸新味」と「白丸元味」が誕生しました。「赤丸新味」は、ピリ辛の辛味噌を加えたスパイシーなバリエーションで、「白丸元味」は、一風堂のスタンダードなとんこつラーメンです。これらのメニューは、一風堂のアイデンティティを象徴するものとなり、多くのファンを獲得しました。
また、河原はこの時期に「ラーメンの原点を守りながらも進化させる」という哲学を打ち出しました。彼は伝統的なとんこつラーメンを基礎としつつ、常に新しい要素を取り入れることにより、一風堂のラーメンが時代に合わせて進化し続けることを目指しました。
全国展開と東京進出
1990年代後半、一風堂は福岡を超えて全国展開を加速させました。1994年には東京・恵比寿に初の首都圏店舗をオープンしました。この東京進出は一風堂にとって大きなターニングポイントとなり、首都圏でのラーメンブームの一端を担う存在となりました。
東京での成功は、一風堂のブランド力を一気に高め、他地域への展開も進みました。特に一風堂の店舗は、内装にこだわり、ラーメンを提供する「空間」としての価値をもたらしました。これにより、従来の「屋台ラーメン」というイメージから脱却し、若者や女性にも受け入れられるモダンなラーメン店として認識されるようになりました。
2000年代:国際進出とニューヨークへの挑戦
2000年代に入り、一風堂はさらにグローバルな展開を目指しました。2008年、ニューヨークのイーストヴィレッジに一風堂の海外第一号店をオープンしました。ニューヨーク店は、開店当初から行列が絶えず、現地メディアからも高い評価を受けました。これにより、一風堂は日本国内外でその名を知られる存在となり、国際的なラーメンブランドとしての地位を確立しました。
ニューヨーク店の成功により、一風堂はその後もアジアやヨーロッパなど、世界各地に店舗を展開していきました。現在では、一風堂は世界中に約100店舗以上を展開しており、国際的なラーメンブームの火付け役とも言える存在となっています。
2010年代:新たな展開と革新
2010年代に入ると、一風堂はさらに新しい挑戦を行いました。この時期には、さまざまな地域限定メニューや季節限定メニューが開発され、ラーメンの多様性を追求しました。また、河原はラーメンだけでなく、飲食業界全体の発展にも寄与するべく、講演活動や執筆活動も積極的に行いました。
さらに、一風堂はテクノロジーの導入にも積極的で、オンラインでの予約システムやデジタルメニューの導入など、時代に即したサービスを提供しています。また、ヴィーガンラーメンやグルテンフリーラーメンなど、現代の食文化に対応した新しいメニューの開発にも取り組んでいます。
現在と未来
一風堂は、創業から約40年経った現在でも、進化を続けています。河原成美が掲げる「ラーメンの未来を切り開く」というビジョンのもと、一風堂はラーメンの枠を超えた新しい食文化の創造を目指しています。これには、ラーメンの味だけでなく、食の体験や空間、サービス全体を含めたトータルな価値を提供することが求められています。
一風堂の成功の裏には、河原成美の「伝統を守りながらも革新を続ける」という姿勢が一貫して存在しており、今後、一風堂はさらなる国際展開を視野に入れ、世界中のラーメンファンにその味と文化を届けることを目指しています。また、次世代のラーメンを見据えた新しい取り組みを続け、未来のラーメン業界に貢献していくことでしょう。
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