大勝軒HPより引用http://www.tai-sho-ken.jp/top.html
私が仲良くさせていただいてるラーメン屋さんや知り合いのラーメン屋さんは有名店なんですが大勝軒出身の方がいます。
話してて面白いのがつけ麺屋出身の人とラーメンメインのお店出身の人のタレの作り方の考えが全く違うんですよね。
どう違うんだ?と言われると説明しづらいのですが、ちょっと何言ってるかわからない。ってぐらい違います。
なのでつけ麺屋さんのラーメンって独特な物が多くて勉強になります。
でもそんな感覚の土台を作らせる大勝軒は偉大なお店なんだと改めて思います。
さてそんな大勝軒の歴史を探ります
はじめに:大勝軒の創業とその意義
大勝軒(たいしょうけん)は、日本のラーメン業界において伝説的な存在として知られています。その歴史は、創業者である山岸一雄氏によって1955年に東京・東池袋で始まりました。大勝軒は、ラーメンの味やスタイルに革命をもたらし、現在でも多くのファンを持つ名店として君臨しています。本記事では、大勝軒の誕生から現在に至るまでの歴史を振り返ります。
創業者・山岸一雄の背景と大勝軒の誕生
山岸一雄氏は、1924年に長野県で生まれました。彼は幼少期から料理に興味を持ち、戦後の混乱期においてもその熱意を失いませんでした。山岸氏がラーメンの道に進むきっかけとなったのは、東京に移り住んでからのことです。彼は都内のいくつかのラーメン店で修行を積み、その後、自らの店を持つ決意を固めました。
1955年、山岸氏は東京・東池袋にて「大勝軒」を開店しました。創業当時、ラーメンはまだ庶民的な食べ物であり、ラーメン店も今ほど多くはありませんでした。山岸氏は、独自のスープと自家製麺を組み合わせたラーメンを提供し、その豊かな味わいで瞬く間に評判を集めることとなります。
つけ麺の誕生:大勝軒の革命的なメニュー
大勝軒が特に有名なのは、「つけ麺」というメニューの開発です。つけ麺は、ラーメンの麺とスープを別々に提供し、麺をスープに浸して食べるスタイルの料理です。このスタイルは、それまでのラーメンには見られなかった斬新なアイデアであり、大勝軒が生み出した一大ブームとなりました。
つけ麺の誕生には、山岸氏の独創性とお客様の声が反映されています。当時、夏場の暑さでラーメンの売上が落ちる中、山岸氏は涼しく食べられるメニューを模索していました。そこで考案されたのが、冷やした麺を熱いスープにつけて食べるつけ麺でした。この新しい食べ方は、たちまち人気を博し、大勝軒の名を全国に広める一助となりました。
冷やした麺を熱いスープに、という考えにこだわり持っている方が多く、つけ麺はその温度差を楽しむもの。という美学があるみたいです。なので一部の方は熱盛りは邪道と言って嫌います。
大勝軒の拡大とフランチャイズ展開
1960年代に入ると、大勝軒はその人気を背景に急速に成長を遂げました。東池袋の本店だけでなく、多くのフランチャイズ店が日本各地に誕生し、大勝軒ブランドは全国的に広がりました。山岸氏は、自らの味と理念を守るため、フランチャイズ店にも厳格な指導を行い、全店舗が一貫したクオリティを維持できるよう努めました。
また、弟子たちが独立して自らの店舗を開業するケースも多く、これによって「大勝軒スタイル」のラーメン店がさらに増加しました。こうした店舗は「大勝軒系」とも呼ばれ、山岸氏のラーメン哲学が日本中に広がっていきました。
山岸一雄の引退とその後の大勝軒
1990年代に入ると、山岸一雄氏は体力の衰えもあり、徐々に第一線から退くことを決意しました。しかし、彼の引退後も大勝軒はその人気を維持し続けました。山岸氏は、引退後も弟子たちとの交流を続け、彼らに対して惜しみない指導を行い続けました。
山岸氏が引退した後も、大勝軒のフランチャイズ展開は進み、国内外で店舗が増加しました。特に海外進出においては、アジアやアメリカ、ヨーロッパなどで大勝軒の味が広まり、日本のラーメン文化を世界に発信する役割を果たしています。
山岸一雄氏の影響と大勝軒の未来
2015年に山岸一雄氏が亡くなった際、日本全国のラーメン業界は深い悲しみに包まれました。彼の死は、一つの時代の終わりを象徴するものでしたが、同時に彼が築いた大勝軒の遺産は、今もなお多くのラーメン店に受け継がれています。
大勝軒は、創業から半世紀以上が経過してもなお、変わらぬ人気を誇り続けています。これは、山岸氏が掲げた「お客様に愛されるラーメンを提供する」という理念が、時代を超えて共感を呼んでいるからです。今後も、大勝軒はその伝統を守りつつ、新たな時代のニーズに応じた進化を遂げることでしょう。
まとめ:大勝軒の歴史とその影響
大勝軒の歴史は、ラーメン業界における一つの大きな転換点を示しています。山岸一雄氏の独創的なアイデアと情熱は、ラーメンの新たなスタイルを生み出し、多くの人々に影響を与えました。つけ麺というメニューの誕生や、全国に広がるフランチャイズ展開は、大勝軒の成功を支える大きな要因となっています。
また、大勝軒の成功は、日本のラーメン文化そのものにも大きな影響を与えました。山岸氏の弟子たちが全国で独立し、「大勝軒系」のラーメン店を展開したことにより、日本中にその味と理念が広がりました。このように、大勝軒は単なるラーメン店の枠を超え、日本の食文化に深く根付いた存在となっています。
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